災害支援レポート

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2011328日 月曜日
レポートNO1  〈この光景、まるで「戦場にいる様だ」〉
主の御名を賛美申し上げます。いつも応援ありがとうございます。
ようやく今日、皆さんにレポートが書ける余裕が出来ました。
ナンバー1です。続いて2、3、と出します。

1、現段階の私の考えを報告します。
私は現在、戦場にいるような「感覚」です。
あちらこちらからの、支援要請や問い合わせ、支援先への物資の搬送、応援先からの物資の入荷、同じく支援団体からの車や荷物関係の「借用依頼」「問い合わせ」などが続いています。

又、これからの仕事として、スタッフの「支援先」の管理と、支援先からの「リクエスト」の管理、
これらの仕事の「整理」と、責任者を立てての「効率的な計画」と、信仰者としてふさわしい「心ある証し」など、沢山の仕事を組み立てて、実行して行きたいと思っています。

一気にこのような状態になっているので、やはり心は「戦場」にいるような気持ちになってくるのです。
尚現在の活動として、被災地からの情報や相談内容の検討、又支援者の車の段取りや燃料の調達、支援物資の調達と運搬、ボランティア人員の移動と宿泊先の調節、又、人員の増加への対応、そして、支援に来られた皆さんのリーダー達との調整と現地必要人員の補填そして、報道では取り上げ切れなかった地域への支援部隊の派遣などがあります。

そして、これからも続いて聞こえてくる「現地からの声」に応答してゆきたいです。又、被災地を行くと、現地の道路わきにある、山のように詰まれている瓦礫の中から、「悲しくて、悔しい叫び声」や、「絶望の声」が聞こえて来る思いがします

このような巨大な被害に慣れていないために起きている、被災現場への物資支給の「偏りと温度差」そして、「支援状態」の偏りの現実。
ある場所では「あふれるばかりの支援物資」—–
しかし、ある方からの叫びは「私たちは、電気も水道も今だ無く(326日土曜日の夜現在)避難所に住んでいない私たちには「支援物資」すら来ていないという、又支援物資が来ている避難所に、「私達がもらいに行くとあんた達の分はありません」と断わられて「手に入りません」と語る。「俺は悔しい」悲痛な声だった。
<この声は、気仙沼で、自分の会社事務所に非難している人の声>

又、福島の海岸線に足を運んだ支援団体からの報告では、
「はじめの時は支援の人々が来ていましたが、今は、ほとんど、どこの支援団体も来ていません」「支援物資は貰っていません」との「状況報告」。
この福島の海岸線沿いの人々は、いまだ、「原発からの恐怖」と、「品物のなさ」「携帯電話の不通による、情報入手での盲目」「支援団体からの孤立」などにより「生活に対する不安が、心身への極度の疲労へとなっています」との報告があります。

ある福島の「地方紙新聞記者」は、こう私達に話されました。
「福島は、まだまだ支援の必要はあります。そこに行くなら、皆さんに無線機を10台でも準備しますから、それを持って行ってください」と言う。福島では、全くの連絡方法がない状態なのです。

キリストに救いを頂いている私たちに、イエス様の声が聞こえてくる思いがしました。「私は失われた魂を、捜して救うために来たのです。」と言われ「この小さな者にしたのは、私にしたのだよ」と語る主の御声をです—-

それに答えるために、現在、車十数台と、十数名のスタッフが活動しています。
是非、皆さんの祈りと、物資の応援をお願いいたします。
たくさんのレポートがありますので、続いて発信します。
栄光在主、岸浪